23Feb 2017
国語の文章を問題に出された作家が
「いやあ、書いた僕でも満点がとれない」
といった逸話は、結構過去からあります。
だから、入試問題の読解は、文脈を読むことよりも、実際にどう書いてあるか、ということを重視する。
誰がどう考えても、こういう答えにならないと本当はいけない。
だから
「出ている本文」に「こう書いてある」ので答えはアという論理なのです。
これが最初は違和感があるでしょう。
実際に読み取っていく過程で、こういう意味なのではないかと思われる文もあるでしょうし、この文はこういう解釈も成り立つ、ということはあるかもしれません。
しかし、自由作文でもない限り、そういう論理は成り立ちません。
したがって塾の文章読解の授業は
「何が根拠か」
ということを中心に考えさせます。
ここに「こう」書いてある、ということを発見することが訓練のスタート。それが見つからないと、答えが出せませんから、実際には文章を読むというよりも、根拠を探すということを中心にする場合が少なくないのです。
これは異論もあるでしょう。本当に文章を読んでいるのか?ということとは若干論理が違う。だから作者が間違うのです。
作者は自分の論理でこの文章を組み立てていますから、文章に書いてなくてもひとつの論理がある。
しかし入試問題の場合「書いてないこと」は論理の根拠にはなりません。
だから自分の書いた文章を入試問題に使われたくない方も最近は増えているのです。
ただ勉強はここを割り切ってやらないと、進みません。案外文章を読むのが好きな子がこのことに注意がいかないばかりに点数がとれない、ということはあるので、注意が必要でしょう。
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最終更新日: 2/24/17, 5:55 AM